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Channel: 無音の音声~むおんのおんじょう~
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風街レジェンド Jpopオリジンとは誰か? 至高のJpopとは? 松本隆45周年から大衆歌謡の根源を思考してゆく。 書生節、民権歌謡、読売。

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武田梵声です。ボイストレーニングのバイブルと呼ばれたフースラー理論を専門とするものです。

フースラーはかつて人は自由自在に歌う事が出来たという事を生理学的に解明しました。

そして人は言語を獲得した事で喉の筋肉、喉を吊る筋肉のバランスを崩し声を不自由にしてしまったのです。


フースラーはアンザッツという筋電図実験により導き出した7つの声により、この喉と喉を吊る筋肉のバランスを回復させる方法も発見しました。

これにより古代の歌い手や古代の芸能人達のように自由自在な声が手に入るわけです。


現代のボイストレーニングというのは、ジャンルの目的に偏ったものがほとんどであり、

それは実際にはボイストレーニングではなく、ボーカルトレーニング、

~もしくはモラルセンス的なボイストレーニングと言えるでしょう、モラルセンスとは芸能学における術語で様々な含蓄がありますがここでは、美の枠組み的な意味合いで使用しています。俳優や声優、アナウンサー、プレゼンテーション等のために行われているボイストレーニングも実際には話芸のモラルセンス訓練であり、声の生理段階に働きかけてゆくものではないでしょう。~

にあたるものになります。


ボイストレーニングという以上は世界各地の現代大衆歌謡や大衆芸能~世界各地の古典芸能更に世界各地の民俗芸能や古代芸能の声まで、


すなわち人から発されるあらゆる声をその射程に持っていなければならないわけです。

それに唯一成功したのがフースラーでした。


武田梵声のレッスンはオルフェ音楽教室まで

オルフェ音楽教室 http://e-koe.jp/

武田梵声の著書

http://www.amazon.co.jp/gp/aw/s?ie=UTF8&fi eld-author=%E6%AD%A6%E7%94%B0%20%E6 %A2%B5%E5%A3%B0&i=stripbooks




さて今月だったかに国際フォーラムだかで
、風街レジェンドという松本隆45周年記念コンサートがやるそうな、LAWSONに大々的にポスターが貼ってあるし、雑誌でも大々的な特集が組まれたりもしているから、知っている者も多いと思う。


私も各芸能プロダクションや集団稽古で今年は松本隆とアングラレコードクラブを軸にしながらJpop、大衆歌謡の根源を探る講義を行っている。


風街レジェンドという語彙の持つ射程というのはどこまで伸びているのだろうか? この語彙は極めて根源的なところまで射程を持っていると思うし、また持たせうる事の出来る語彙だ。


我々は真の意味合いにおける風街レジェンドを捉え、そして我々自身がそうなる必要がある。


もしも風街レジェンド・オリジンと呼べる存在がいるとすればそれは添田唖蝉坊であると言えるだろうか?


もちろん、神長瞭月や秋山楓谷・静代、鳥取春陽なんかも風街レジェンド・オリジンであろうし、民権歌謡の元祖的存在である川上音二郎や演歌壮士団(青年倶楽部)の久田鬼石なんかも含んでも良いかもしれない。


風街というのは、ご存知、Jpop的構造バランスの祖ともいうべき~はっぴいえんど~のドラマーであり、作詞家である松本隆が考えた理想的な街のイメージであり、彼の作品に通低した元型的なイメージであると言えるだろう。それは東京オリンピック 以前の東京であり、ガロの永島慎二的なビジョンを継承したものでもあった。


また寺山修司からの影響も松本は受けていた事を考えてゆくならば、この射程は更に伸びてゆくだろう。


確かに松本のそれは都会的であるが、その根源にはこうした風街的なイメージがあった事をもう一度捉えてゆく必要があるだろう。

そもそもアングラレコードクラブはJpopを生み出してゆく都会的なビジョンと後の小沢昭一の日本の放浪芸シリーズのプレと申してよい竹中労の禁歌集的なビジョンという。近代~古代、もしくは未来~古代の両極への射程があった。

高田渡や高石友谷、岡林信康、なぎらけんいち、ジャックス等にも共通していたビジョンに

こうした未来的な芸能・歌謡は

古代的な民衆的な俚謡、民謡を捉えなければ発生し得ない事を

しっかりと意識化に立ち上げていた所にあるだろう。

風街というのもこうした近代と古代が交錯したオリンピック前の東京を捉えて発生してきた思考であった。


また町田佳聲等によりねじ曲げられてしまった民謡観の復権もこの日本のフォークリバイバル運動により、成されていった事も注目に値する。それは関西フォークの中核メンバーによって成されたというよりは、むしろ竹中労や谷川雁によって成されたと見るべきかもしれない。しかしながら高田渡、高石友也、岡林信康といった面々にも民謡の根源を捉えてゆこうとする思考は間違いなく働いていたが、アメリカのマウンテンミュージックやブルースとシンクレさせてゆく方向に進んだため、ある種の肉体化は行われなかった。

もちろんマウンテンミュージックやブルースはアパラチア人やアフロアメリカンにとっては肉体化された芸能である。

我々の中でハリースミスコレクションはどのような位置付けになるだろうか?今のところ我々は美空ひばりを化石化させてしまい。小沢昭一の放浪芸能集や竹中の禁歌集を土台としない者を中心とした世に生きてしまっている

権威、権力となった美空ひばりは完全に化石となった。 我々は化石化したひばりを馬鹿どもから救いださねばなるまい!!!

我々は結局ハリースミスコレクションを持たず仕舞いだ。

我々のハリースミスコレクションである小沢の放浪芸能集や竹中の禁歌集はハリースミスコレクションを遥かに凌ぐ出来であるというのに・・・

アングラレコードクラブはフォークウェイズから多大な影響を受けた会社だったが、
結局アングラレコードクラブはフォークウェイズ以上の射程を持ったと言える。
それはやはり竹中の力によるのだ。


我々は竹中の捉えた炭坑節を捉え直し、その炭坑節のライフインデキスと満映とそれから知道とを交錯させてゆく。そこに折口信夫のマレビトを超えてゆくヒントもあると言えるだろう。


風街レジェンドは想像以上に深い射程を持っている。今こそ、我々は風街レジェンドの真の射程を捉え、真の風街レジェンドを 再生し、ネオ風街レジェンドに我々自身が目覚めてゆくべきなのだ・・・そしてオリンピックをぶっ飛ばせ!!!ハマクラをぶっ飛ばすのではなく・・・。

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