私の名は、武田梵声。世界最高の芸能分析法、折口信夫古代芸能学と世界最高の発声学であるフースラー発声学を専門とする。芸能の評価、芸能音声の分析において我々を超える方法は、今のところ存在しないであろう。それを踏まえて以下の事を読んでもらいたい。
水木しげる 野坂昭如 はメインストリームにいた数少ない 古代人であった。 メインストリームの成功者の大半は、芸能人を含め基本的には、近代人の代表だ。
私の幼き頃のあだ名は、妖怪博士であった。 また水木しげるにより、私が崇敬する 妖怪総大将 ぬらりひょん が大衆化された事も感謝すべきところだ。 藤澤衛彦の思考を拡張していった事は、この翁と童子の閾にあり、山と海の閾にあったこの妖怪の力を開花させた。またアフリカ神話の要にあるいわゆる瓢箪性もこの妖怪王にはあった。まさしく まれびとの王であった。水木しげるは、手塚治虫からの嫉妬も受けていた。また白土三平をおちょくるその精神も素晴らしい。スウェーデンボルグ、南方熊楠、井上円了、出口王仁三郎への評価もまた注目に値する。
後は近年では、出雲人への思いも注目すべきだ。折口信夫のまれびとの原像は、万葉人にあり、万葉人の理想は、出雲人にあり、出雲人の理想は、大国主にあった。それは、そっくりそのまま列島人の原像でもあろう。
水木しげるは、トライ人の芸能を通じて、日本における小泉文夫以前の民族音楽ブームのまさにパイオニア的な存在でもあった。また晩年にも先住民の妖怪や精霊のフィールドワークは行っており、井上円了が世界中の妖怪や精霊を封印したとするならば水木しげるは、世界中の妖怪や精霊を再生させていったと言えるだろう。 それは、ある意味では、南方熊楠の神社合祀令への反対と同様の構造を持つ。
鬼太郎の元型が飴買い幽霊にあると謂うことも重要である。これもまたユーラシア全土に拡散した。原始心性を多く残した昔話である。
水木しげるのナマケモノ思想も好きであった。だが私は、一点だけ水木の主張で苦手な点があったのだが、それさへも彼のひょうひょうとした性格によりチャラになるかのようだ。
のんのん婆の思考というのも水木の原光景であると同時に列島人全体の民俗の無意識に繋がっている事だろう・・・
野坂昭如、クロード野坂の思考というのは、まさに神や妖怪、精霊の領域に達していよう。現役最強の芸能人とは、全く彼の事を言ったのだ。その力は、見方によっては、美空ひばりをも超えていると言える。それは放浪芸能人の構造や機能を集約したかのようなその思考と肉体がある最も重要な部分すなわちライフインデキスにおいて美空ひばり以上の古層に達している点にある。
彼のエロ事師達や、YWCA、それからマリリンモンローノーリターン等は最高であった。特にYWCAとエロ事師は群を抜いていた。 今村昌平により映画化もされたそれに肉体を与えたのも小沢昭一によってであった事も注目に値しよう。澁澤や三島からも絶賛された彼の小説は、三島はもちろん澁澤をも凌駕していたかもしれない。
そして我々は、以外な事にその思考がディズニーに繋がってゆき、更にはエラノス精神にも繋がってゆく事を知る事になる。 ディズニーの最高傑作と一般的に名高いファンタジアの春の祭典の章は、古代芸能と宇宙創造~生命進化のアナロジー的な物語となっているが、そもそも古代芸能自体、古代人の思考自体がインイロテンポーレを源にしており、宇宙創造へのアナロジー構造を古代芸能や神話、昔話が持っているわけである。こういったエラノス的思考は、キャンベルを通じてジョージルーカスに多大な影響を与え スターウォーズが表出されたのは、有名な話だ。
ストラヴィンスキーの原始主義は、伊福部昭にも多大な影響を与えている。ストラヴィンスキーは、ニジンスキーとのやりとり等から察するにやはり古代人には成りきれていないのだ。
しかしながら、ストラヴィンスキーが舞踊史、身体史に与えた影響は計り知れないものがある事も確かだ。
ディズニーの脳は、ティモシーリアリーのように冷凍保存されている。かつてウォルト・ディズニーは、その芸能、芸術の完成のために日本列島の巷間芸能のライフインデキスにお忍びで触れにきた。だが残念ながらそれはディズニーの作品には表出される事はなかった。
もしもディズニーの中にある即席化されたエラノス的思考と野坂昭如の中にあった列島の巷間芸能のライフインデキスがシンクレをおこしたならばそれこそが超芸能になり得た可能性がある。それは、昔話や神話のライフインデキスを更なる超越へと向かわせるからだ。
それは全くホカイビトやマレビトの未来的な蘇りであり、祝祭性を再び宿らせたマラルメやルソー的な未来演劇の誕生でもある。そしてバタイユやフレイザーのサクリファイス芸能の未来的な復活さへをも意味し、それら全てを超越してゆく可能性すらあるのだ。
質問を頂いた方々、ライブドアブログ
フースラー真ミックスボイス にコメントを下さった方々も含めまして、返信が遅くなっています事を心からお詫び致します。必ずお返事致しますので、しばしお待ち下さい。
さて 川崎様、芸能の本質が古代性の再獲得。聖なるものとの遭遇にあるというのは、正しいです。
また他者に見せ、聴かす事の本質や起源もそこにあります。そもそも感染芸能、感染教育こそがその本質にあるわけです。 グルジェフは世界各地の芸能、芸術を客観芸術、客観芸能と主観芸能、主観芸術とに分類していますが、客観芸能、客観芸術こそが正しく、主観芸術、主観芸能は間違っていると考えました。客観芸能とはすなわち変容性を持った芸能の事です。倍音唱法やタージマハール等を例にあげていますが、ここには世界各地の民俗芸能、民族芸能、民芸、民謡、昔話、神話、洞窟壁画、動産芸術、岩陰彫刻等や一部のアバンギャルド芸術も含まれてきます。しかしながら自身の表現といった極めて近代的な価値の強い主観芸術であっても極度の泣き、笑い、もしくは感動を引き起こせばそれは結局のところ変容に向かうのであり、主観芸能の主張や思想の浅薄さは解体されラディカルな変容世界を表出させてゆきます。かつての万歳の笑いやバタイユ的な笑い。マハカシャパ的な笑い、ツァラトゥストラ的な笑い、泣き女的な泣き、ウツメ的な泣きは、主観を、超えてすでに集合的無意識、アラヤ識へと向かっているわけです。芸術や芸能の作者の意図の大半や世界観というのも大事な事ですが、根源にあるのは、そうした表層の思考や思想を解体してゆくヌミノーゼ的なるものです。芸能や芸術は多層で出来ているため禅竹の六輪一露のような思考を持つ事が何よりも重要になります。これによりあらゆる段階の芸能を把握してゆく事が、可能となり、そしてそれは常に根源場においてヌミノーゼにより解体され続けているものなのです。現代芸能人やタレントが我々のいう芸能人と異なると思われる気持ちも解りますし、事実相当に異なるのですか、現代芸能人やタレントも歴史的にはマレビトの子孫である巷間芸能人の直系の子孫にあたります。世界各地の芸能のメインカルチャー、カウンターカルチャー、サブカルチャーはそもそもマレビト的なる力により発生してきましたので、少なくとも形骸化したマレビトではあるわけです。それも相当に形骸化しているから我々にとっては大した力がないように見えてしまうわけです。それは世界各地の現代メインカルチャーの大半が多かれ少なかれそのようなものです。1970年代前半でマレビトは死んだのです。
我々はマレビトを甦らせねばならないわけです。それは神や妖怪の領域の芸能です。現在神の領域にある芸能はまあほとんどないでしょう。先日亡くなった野坂昭如が神の領域の芸能のほとんど唯一の生き残りでした。それは、古代のマレビトの力をどれだけ残しているかにかかっています。それは、野生の肉体性であったり、野生の声であったり、野生の思考であったり、野生の情動であったり、するわけですが、結局は最高のヌミノーゼに触れ、それをいかに指示表出するかにかかっているわけです。そしてこの指示表出は、世界全体に、感染し世界全体を変容させるし。またさせなければ、ならないわけです。全ては変容であり、変容のためにあるわけです。
世界最高のボイトレ フースラーメソード と そのフースラーが理想と考えたオールドイタリアンスクールのボイトレメソードを専門とする夢遊病的ボイストレーナー武田梵声です。 オールドイタリアンスクールのボイトレメソードは、SLSボイトレに多大な影響を与えたチェザリーもが理想のボイトレとしていたものです。
また古代~現代までの世界各地のあらゆる芸能を分析する学問の最高峰 折口信夫の古代芸能学も専門としています。
武田梵声のレッスンは
オルフェ音楽教室まで
www.e-koe.jp
または、こちらのアドレスまで直接お問い合わせください。
武田梵声レッスン受付
bonjyou@yahoo.co.jp
武田梵声の著書
『こどものための究極★正しい声のトレーニング』(リットーミュージック刊)
『ボーカリストのためのフースラーメソード』
(リットーミュージック刊)
水木しげる 野坂昭如 はメインストリームにいた数少ない 古代人であった。 メインストリームの成功者の大半は、芸能人を含め基本的には、近代人の代表だ。
私の幼き頃のあだ名は、妖怪博士であった。 また水木しげるにより、私が崇敬する 妖怪総大将 ぬらりひょん が大衆化された事も感謝すべきところだ。 藤澤衛彦の思考を拡張していった事は、この翁と童子の閾にあり、山と海の閾にあったこの妖怪の力を開花させた。またアフリカ神話の要にあるいわゆる瓢箪性もこの妖怪王にはあった。まさしく まれびとの王であった。水木しげるは、手塚治虫からの嫉妬も受けていた。また白土三平をおちょくるその精神も素晴らしい。スウェーデンボルグ、南方熊楠、井上円了、出口王仁三郎への評価もまた注目に値する。
後は近年では、出雲人への思いも注目すべきだ。折口信夫のまれびとの原像は、万葉人にあり、万葉人の理想は、出雲人にあり、出雲人の理想は、大国主にあった。それは、そっくりそのまま列島人の原像でもあろう。
水木しげるは、トライ人の芸能を通じて、日本における小泉文夫以前の民族音楽ブームのまさにパイオニア的な存在でもあった。また晩年にも先住民の妖怪や精霊のフィールドワークは行っており、井上円了が世界中の妖怪や精霊を封印したとするならば水木しげるは、世界中の妖怪や精霊を再生させていったと言えるだろう。 それは、ある意味では、南方熊楠の神社合祀令への反対と同様の構造を持つ。
鬼太郎の元型が飴買い幽霊にあると謂うことも重要である。これもまたユーラシア全土に拡散した。原始心性を多く残した昔話である。
水木しげるのナマケモノ思想も好きであった。だが私は、一点だけ水木の主張で苦手な点があったのだが、それさへも彼のひょうひょうとした性格によりチャラになるかのようだ。
のんのん婆の思考というのも水木の原光景であると同時に列島人全体の民俗の無意識に繋がっている事だろう・・・
野坂昭如、クロード野坂の思考というのは、まさに神や妖怪、精霊の領域に達していよう。現役最強の芸能人とは、全く彼の事を言ったのだ。その力は、見方によっては、美空ひばりをも超えていると言える。それは放浪芸能人の構造や機能を集約したかのようなその思考と肉体がある最も重要な部分すなわちライフインデキスにおいて美空ひばり以上の古層に達している点にある。
彼のエロ事師達や、YWCA、それからマリリンモンローノーリターン等は最高であった。特にYWCAとエロ事師は群を抜いていた。 今村昌平により映画化もされたそれに肉体を与えたのも小沢昭一によってであった事も注目に値しよう。澁澤や三島からも絶賛された彼の小説は、三島はもちろん澁澤をも凌駕していたかもしれない。
そして我々は、以外な事にその思考がディズニーに繋がってゆき、更にはエラノス精神にも繋がってゆく事を知る事になる。 ディズニーの最高傑作と一般的に名高いファンタジアの春の祭典の章は、古代芸能と宇宙創造~生命進化のアナロジー的な物語となっているが、そもそも古代芸能自体、古代人の思考自体がインイロテンポーレを源にしており、宇宙創造へのアナロジー構造を古代芸能や神話、昔話が持っているわけである。こういったエラノス的思考は、キャンベルを通じてジョージルーカスに多大な影響を与え スターウォーズが表出されたのは、有名な話だ。
ストラヴィンスキーの原始主義は、伊福部昭にも多大な影響を与えている。ストラヴィンスキーは、ニジンスキーとのやりとり等から察するにやはり古代人には成りきれていないのだ。
しかしながら、ストラヴィンスキーが舞踊史、身体史に与えた影響は計り知れないものがある事も確かだ。
ディズニーの脳は、ティモシーリアリーのように冷凍保存されている。かつてウォルト・ディズニーは、その芸能、芸術の完成のために日本列島の巷間芸能のライフインデキスにお忍びで触れにきた。だが残念ながらそれはディズニーの作品には表出される事はなかった。
もしもディズニーの中にある即席化されたエラノス的思考と野坂昭如の中にあった列島の巷間芸能のライフインデキスがシンクレをおこしたならばそれこそが超芸能になり得た可能性がある。それは、昔話や神話のライフインデキスを更なる超越へと向かわせるからだ。
それは全くホカイビトやマレビトの未来的な蘇りであり、祝祭性を再び宿らせたマラルメやルソー的な未来演劇の誕生でもある。そしてバタイユやフレイザーのサクリファイス芸能の未来的な復活さへをも意味し、それら全てを超越してゆく可能性すらあるのだ。
質問を頂いた方々、ライブドアブログ
フースラー真ミックスボイス にコメントを下さった方々も含めまして、返信が遅くなっています事を心からお詫び致します。必ずお返事致しますので、しばしお待ち下さい。
さて 川崎様、芸能の本質が古代性の再獲得。聖なるものとの遭遇にあるというのは、正しいです。
また他者に見せ、聴かす事の本質や起源もそこにあります。そもそも感染芸能、感染教育こそがその本質にあるわけです。 グルジェフは世界各地の芸能、芸術を客観芸術、客観芸能と主観芸能、主観芸術とに分類していますが、客観芸能、客観芸術こそが正しく、主観芸術、主観芸能は間違っていると考えました。客観芸能とはすなわち変容性を持った芸能の事です。倍音唱法やタージマハール等を例にあげていますが、ここには世界各地の民俗芸能、民族芸能、民芸、民謡、昔話、神話、洞窟壁画、動産芸術、岩陰彫刻等や一部のアバンギャルド芸術も含まれてきます。しかしながら自身の表現といった極めて近代的な価値の強い主観芸術であっても極度の泣き、笑い、もしくは感動を引き起こせばそれは結局のところ変容に向かうのであり、主観芸能の主張や思想の浅薄さは解体されラディカルな変容世界を表出させてゆきます。かつての万歳の笑いやバタイユ的な笑い。マハカシャパ的な笑い、ツァラトゥストラ的な笑い、泣き女的な泣き、ウツメ的な泣きは、主観を、超えてすでに集合的無意識、アラヤ識へと向かっているわけです。芸術や芸能の作者の意図の大半や世界観というのも大事な事ですが、根源にあるのは、そうした表層の思考や思想を解体してゆくヌミノーゼ的なるものです。芸能や芸術は多層で出来ているため禅竹の六輪一露のような思考を持つ事が何よりも重要になります。これによりあらゆる段階の芸能を把握してゆく事が、可能となり、そしてそれは常に根源場においてヌミノーゼにより解体され続けているものなのです。現代芸能人やタレントが我々のいう芸能人と異なると思われる気持ちも解りますし、事実相当に異なるのですか、現代芸能人やタレントも歴史的にはマレビトの子孫である巷間芸能人の直系の子孫にあたります。世界各地の芸能のメインカルチャー、カウンターカルチャー、サブカルチャーはそもそもマレビト的なる力により発生してきましたので、少なくとも形骸化したマレビトではあるわけです。それも相当に形骸化しているから我々にとっては大した力がないように見えてしまうわけです。それは世界各地の現代メインカルチャーの大半が多かれ少なかれそのようなものです。1970年代前半でマレビトは死んだのです。
我々はマレビトを甦らせねばならないわけです。それは神や妖怪の領域の芸能です。現在神の領域にある芸能はまあほとんどないでしょう。先日亡くなった野坂昭如が神の領域の芸能のほとんど唯一の生き残りでした。それは、古代のマレビトの力をどれだけ残しているかにかかっています。それは、野生の肉体性であったり、野生の声であったり、野生の思考であったり、野生の情動であったり、するわけですが、結局は最高のヌミノーゼに触れ、それをいかに指示表出するかにかかっているわけです。そしてこの指示表出は、世界全体に、感染し世界全体を変容させるし。またさせなければ、ならないわけです。全ては変容であり、変容のためにあるわけです。
世界最高のボイトレ フースラーメソード と そのフースラーが理想と考えたオールドイタリアンスクールのボイトレメソードを専門とする夢遊病的ボイストレーナー武田梵声です。 オールドイタリアンスクールのボイトレメソードは、SLSボイトレに多大な影響を与えたチェザリーもが理想のボイトレとしていたものです。
また古代~現代までの世界各地のあらゆる芸能を分析する学問の最高峰 折口信夫の古代芸能学も専門としています。
武田梵声のレッスンは
オルフェ音楽教室まで
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武田梵声レッスン受付
bonjyou@yahoo.co.jp
武田梵声の著書
『こどものための究極★正しい声のトレーニング』(リットーミュージック刊)
『ボーカリストのためのフースラーメソード』
(リットーミュージック刊)