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Channel: 無音の音声~むおんのおんじょう~
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歌の瞑想

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歌の良し悪しの判断とは、そもそもいくつかのモラルセンスを働かせてやるのである。残念ながら歌の良し悪しが解るものは、ほとんどいない。ボイストレーナーとかボーカルトレーナーとか、お歌の先生の大半はそもそもろくな歌を聴いたことがないわけだ。ボーカルトレーナーやモラルセンス教師も本当にはほとんどいまい。そのモラルセンスが発生した始まりや根源を知らんからだ。
至高の歌が何かも解らずに歌を判断する事は無理だ。歌の本体とはタマフリだ。
バジャンとかキールタンとか、サンキールタンとか、踊り念仏とか、念仏踊りとか、跳躍念仏とか
こういうものよりももっともっと深い瞑想性のコアのようなものがタマフリだ。これが捉えられねば歌の事は解らんのだ。
先日、アバンギャルド芸能者かつコーチング、催眠、瞑想等を専門としている川崎君とコーチングやNLP、ヒューマンポテンシャル、エサレン研究所等についてを少し話をしたのだが、
結局、芸能のコアを思考したバタイユの最後は経済学の研究であったというところで終わった。
リュウメイなんかはアダムスミスの古典経済学からスタートしており、そこに世界をトータルに把握する原理があるとみていた。そもそも
貨幣を増殖してゆく思考のアーキタイプはタマフリやアボリジニのインティチューマ辺りにあり、折口信夫も経済の発生をマレビトによる芸能空間の中にみていたわけだ。バタイユの最高の芸能の態はサクリファイスだ。
それは蕩尽論となる。
最近は蕩尽願望のあるサラリーマンも増えているようだ。蕩尽、ポトラッチは重要だ。しかしながらその蕩尽とポトラッチをもう1つエラノス的に(未来的に)してゆく必要はあるだろう。
瞑想が根源にある事が解るものには芸能の底知れない可能性が見える筈だ。
というよりも歌はそもそも瞑想だったのだ。こんな当たり前の事が解らんものがあまりに多いわけだ。
国風歌舞の意味を考えれば直ぐに解る筈だ。












純邦楽発声法、民族音楽のためのボイストレーニングを専門としています武田梵声です。
世に普及していますボイストレーニングや発声法の大半が、クラッシック(西洋古典声楽)やロック、ポップスといった欧米の歌謡、芸能を目的としたものがほとんどで、純邦楽、古典芸能、民謡、民族音楽、民俗音楽のためのボイストレーニングや発声法、発声訓練というのはほとんど聴きません、あったとしても演者の感覚だけを述べたものが大半で、科学的にその声を分析し、引き出してゆくものではありません、


~邦楽の感覚的な態言語や民族音楽、民俗音楽における感染教育と呼ばれる教育法は、アナロジーにより高度に筋運動上の感覚を捉えたものが多いのですが、別化性能に馴らされた現代人にとっては、こうした稽古だけで声の技芸を身に付けるのは難しい人も多いようです。~



実は民謡計量学 や フースラー発声学 により邦楽や民族音楽の科学的発声指導が可能なのです。

フースラーというのは、民謡研究とボイストレーニング、生理学を統合させたボイストレーナーで世界各地のあらゆる発声法の根源を言語獲得以前の発声の中に発見しました。この段階を捉える事で声はあらゆるジャンルに対応出来るように変化する事が可能になります。

当blogではこのフースラー理論を軸に邦楽発声法、世界各地の民族音楽発声法を明らかにしてゆきます。


武田梵声のレッスンは

オルフェ音楽教室まで
www.e-koe.jp

または、こちらのアドレスまで直接お問い合わせください。

武田梵声レッスン受付
bonjyou88@yahoo.co.jp

武田梵声の著書

『こどものための究極★正しい声のトレーニング』(リットーミュージック刊)

『ボーカリストのためのフースラーメソード』
(リットーミュージック刊)

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