山口淑子さんか亡くなった。ご冥福をお祈りします。
李香蘭こそ、至高の芸能人であった。 少なくともある着想をするならばそう捉える事が出来るのだ。
かつて浅草十二階において数々の至高の 芸能が発生し、皆 妖怪そのものと申してよい芸能力を発揮した。
浅草オペラ作者である獏与太平~古海卓二~、
舞踏家・石井漠
浅草オペラの創始者・伊庭孝・
後の満映理事・根岸寛一
ダダ詩人・高橋新吉
内田吐夢
甘粕正彦
中浜哲
吉田大次郎、
倉地啓司、
河合康左右
大杉栄
そして辻潤と小生夢坊・・・
また大杉栄が影響を受けたバクーニン、クロポトキン、辻潤が影響を受けたマクス・スティルナー
も浅草的な思考と肉体の源泉である乞胸的な力とシンクレしていった事だろう。乞胸は浪花節を発生させる核になった力であり、究極の怪優にしてワザヲギであったダントクの目指すべき極致でもあった。
こうした浅草十二階の力が満映にそそがれてゆき、それは後に東映を発生させてゆく。その事をいま思考し直すべきだろう。
゛
またツァラのダダやマリネッティの未来派も乞胸的な肉体を持つ事で浅草的な芸能を発生させていった事も注目に値する。
mavoは、その中核となった潮流であり、それは後の具体美術協会、1960年~1970年頃に存在した ネオダダ・オルガナイザーズ、ハイレッド・センター、ゼロ次元、 他に時間派、九州派、フィルム・アンデパンダン、状況劇場、天井桟敷、暗黒舞踏等によりラバイバルされてゆく事にもなるのだ。こうした60年代~70年代のダダ、アングラが現代までのカウンターカルチャー、サブカルチャー、メインカルチャーの基本を創出してゆく事になるのを考えるならば浅草十二階の芸能とその生命指標であったマウ゛ォがいかに重要かは解るだろう
マウ゛ォは村山知義を中心とし 他に社会風刺漫画の柳瀬正夢、田河水泡がいた。
村山は意識的構成主義~ロシア構成主義からの影響を受け、それを解体した~ウ゛ィジョンで芸術の究局は建築と主張していた。
関東大震災後のバラック装飾は、その顕れでもあった。
またマウ゛ォがモデルとしたネオダダイストであるモンドリアンそして「デ・ステイル」も注目すべきだろう。
こうした全ての力を集積させた存在こそが李香蘭と李明であったのだ。
我々はあらゆるイデーを乗り越えてこの芸能力を思考すべき時に来ているのかもしれない・・・。
ただ現代人の多くが捉えているハリウッド的もしくはブロードウエイ的な李香蘭はカスであると言っていい。
芸能は光のあてかたで大きく変わるのだ。
大正時代は最も重要だ。これもあまりハイルチャー的な視点から捉えすぎるべきでない。
昨日RDレインが少々TVで取り上げられていた。
私はレインの言葉達をかつて愛していた。
今はもう好きではない。だが・・・
このレイン的な思考は多かれ少なかれ現代を支える源泉になっている事だろう
そしてそれはダダを乗り越えようとし、洞窟芸能とも格闘したが、結局は逃げ出したものをやはり恐怖のどん底に叩き落とした思考なのだ。それはオートマティズムやブリコラージュ、フェアリーテイルをも解体させてゆく可能性を持っているとかつて信じられていた・・・
その潮流の中でもがきながら漂泊したもの達もその多くはモノガミーの中で偽りの幸福に浸っている。モノガミーも枠組みの問題であるからして、もちろん全てが悪いわけではない。
新宿的思考と原宿的思考、渋谷的な思考の移り変わりを体現してきた芸能人にはやはりケルアックやフラワーチルドレン、フーテン的な思考が基層に流れ、更なる無底には、ボヘミアンが・・・そしてマンガニヤルとジョーギーがいたわけである。
その全漂泊力のアクシスムンディが浅草十二階とミナミの五階であり、そして満映にそそがれたのである。
満映について語るのはいまもって難しいように思うが、李香蘭の死をきっかけに満映は何かを語り始めるやもしれない・・・
東アジアと北アジアの芸能はここを思考せずに語れないのだ・・・。
李香蘭こそ、至高の芸能人であった。 少なくともある着想をするならばそう捉える事が出来るのだ。
かつて浅草十二階において数々の至高の 芸能が発生し、皆 妖怪そのものと申してよい芸能力を発揮した。
浅草オペラ作者である獏与太平~古海卓二~、
舞踏家・石井漠
浅草オペラの創始者・伊庭孝・
後の満映理事・根岸寛一
ダダ詩人・高橋新吉
内田吐夢
甘粕正彦
中浜哲
吉田大次郎、
倉地啓司、
河合康左右
大杉栄
そして辻潤と小生夢坊・・・
また大杉栄が影響を受けたバクーニン、クロポトキン、辻潤が影響を受けたマクス・スティルナー
も浅草的な思考と肉体の源泉である乞胸的な力とシンクレしていった事だろう。乞胸は浪花節を発生させる核になった力であり、究極の怪優にしてワザヲギであったダントクの目指すべき極致でもあった。
こうした浅草十二階の力が満映にそそがれてゆき、それは後に東映を発生させてゆく。その事をいま思考し直すべきだろう。
゛
またツァラのダダやマリネッティの未来派も乞胸的な肉体を持つ事で浅草的な芸能を発生させていった事も注目に値する。
mavoは、その中核となった潮流であり、それは後の具体美術協会、1960年~1970年頃に存在した ネオダダ・オルガナイザーズ、ハイレッド・センター、ゼロ次元、 他に時間派、九州派、フィルム・アンデパンダン、状況劇場、天井桟敷、暗黒舞踏等によりラバイバルされてゆく事にもなるのだ。こうした60年代~70年代のダダ、アングラが現代までのカウンターカルチャー、サブカルチャー、メインカルチャーの基本を創出してゆく事になるのを考えるならば浅草十二階の芸能とその生命指標であったマウ゛ォがいかに重要かは解るだろう
マウ゛ォは村山知義を中心とし 他に社会風刺漫画の柳瀬正夢、田河水泡がいた。
村山は意識的構成主義~ロシア構成主義からの影響を受け、それを解体した~ウ゛ィジョンで芸術の究局は建築と主張していた。
関東大震災後のバラック装飾は、その顕れでもあった。
またマウ゛ォがモデルとしたネオダダイストであるモンドリアンそして「デ・ステイル」も注目すべきだろう。
こうした全ての力を集積させた存在こそが李香蘭と李明であったのだ。
我々はあらゆるイデーを乗り越えてこの芸能力を思考すべき時に来ているのかもしれない・・・。
ただ現代人の多くが捉えているハリウッド的もしくはブロードウエイ的な李香蘭はカスであると言っていい。
芸能は光のあてかたで大きく変わるのだ。
大正時代は最も重要だ。これもあまりハイルチャー的な視点から捉えすぎるべきでない。
昨日RDレインが少々TVで取り上げられていた。
私はレインの言葉達をかつて愛していた。
今はもう好きではない。だが・・・
このレイン的な思考は多かれ少なかれ現代を支える源泉になっている事だろう
そしてそれはダダを乗り越えようとし、洞窟芸能とも格闘したが、結局は逃げ出したものをやはり恐怖のどん底に叩き落とした思考なのだ。それはオートマティズムやブリコラージュ、フェアリーテイルをも解体させてゆく可能性を持っているとかつて信じられていた・・・
その潮流の中でもがきながら漂泊したもの達もその多くはモノガミーの中で偽りの幸福に浸っている。モノガミーも枠組みの問題であるからして、もちろん全てが悪いわけではない。
新宿的思考と原宿的思考、渋谷的な思考の移り変わりを体現してきた芸能人にはやはりケルアックやフラワーチルドレン、フーテン的な思考が基層に流れ、更なる無底には、ボヘミアンが・・・そしてマンガニヤルとジョーギーがいたわけである。
その全漂泊力のアクシスムンディが浅草十二階とミナミの五階であり、そして満映にそそがれたのである。
満映について語るのはいまもって難しいように思うが、李香蘭の死をきっかけに満映は何かを語り始めるやもしれない・・・
東アジアと北アジアの芸能はここを思考せずに語れないのだ・・・。