武田梵声です。
あらゆるボイストレーニングの源流にしてボイストレーニングのバイブルと呼ばれましたのがフースラー理論です。
私はこのフースラー理論をフースラーの高弟クレッチマー流派で学び、専門とするものです。
フースラーは自在に歌い、語る能力は誰の喉にも潜在的にある事を発見しました。音痴の人にも、声の小さな人の中にもです。
いわゆる最近流行りのSLSのメソードというものもその原型はチェザリーによるものです。残念ながらSLSのトレーナーの多くもチェザリーを正しく理解している人は少ないようです。特に19世紀型のメソードとの混同が目立ちます。そもそもSLSの創始者自身がそうですので、仕方がないのかもしれません、(もっと言うならばチェザリー自身にもそうした誤解があったわけですが、フースラー同様、チェザリーの大枠は正しかったと言えます。)
しかしながらSLSのトレーナーの中にも最近素晴らしいうごきがみられております。
チェザリーや17世紀型のボイストレーナーすなわちトージやマンチーニ、ポルポラ、カッチーニ、マンフレディーニ、ミクシュ、等への回帰がSLSの本来の射程であった事に気付きはじめているのです。
またこのSLS協会が北米のショービジネスと密接な結びつきを持ってきた事は、そのオリジンであるブルースやゴスペル更にはプリブルース、フィールドハラー、ワークソング、ニグロスピリチュアル、グリオやブドゥンの芸能へ目を向ける必要があり、その事に気付きはじめたSLS協会のトレーナーが私の研究所に訪れはじめました。
これはボイストレーニングは元より、芸能教育全体を考えた時にも良い潮流に繋がる可能性があるかもしれないと私は思っているのです。
フースラー、チェザリーの理想は17世紀型の訓練にあったわけであり、間違っても19世紀型の訓練の中には、微塵もないわけです。17世紀型の訓練というのはモラルセンス的にも初期バロック以前の思考とリンクしており、それは西洋の中のアジア・アフリカ段階と繋がりを持つわけです。もちろんフースラーはこれを俚謡研究と重ねる事で更に更に深い原初の喉頭にまで到達してゆきます。これはツカーカンドルのエネルゲーテク理論と重ねてゆく事でムーシケーの真の射程さへもが顕れてくるわけで、それは西洋哲学がムーシケーだった頃の思考とも重なるわけですが、ソクラーテスの思考の源は井筒先生が考えられた通りだったわけです。それは池田晶子などにも継承されてゆきましたし、
ヒューマンポテンシャル革命とも実のところ結びつきを持っていきました。
SLS協会がフースラー以上にボイトレ業界でひろまったその理由はただ単純にアメリカのショービジネスと密接に結びついていたという事だけでしょう。現代日本人(世界各地の近代人)はアメリカ様が大好きですからね、しかしながらSLSというものがチェザリーや17世紀型の訓練を19世紀型と混同させ即席化したものだという事はそろそろ認めなければならないし、またそれはSLS自身の本質にとっても本当は表面上の事なのだと気づかねばならない時にきていると思います。
フースラーやチェザリーそれからリードも俚謡研究とあわせて考える事でその真の射程が顕れてきます。なぜわざわざこれらの歌謡や芸能を考えねばならないのかと言えば、残念ながら我々の前にある19世紀的なモラルセンスとその残党は原初の歌、すなわち自由自在な喉とは程遠い存在であり、我々が自由自在な喉やその萌芽を知るのにこうした原初の歌的な構造を持つ俚謡や民俗芸能を知ることが必須となるわけです。19世紀的なモラルセンスしか知らない者がこうした野生の音声訓練を指導、実践してもその目標とするビジョンが曖昧では、パラダイムショックを起こしてしまう可能性の方が高いわけです。
どんなに良い浪花節の訓練でも雲右衛門や虎造等の名人を知らなければ良い浪花節は出来ないでしょうし、ビオメハニカシステムだけやってコメディアデラルテや仮面のマレビト芸能を知らなければ、(まあそこそこまではゆきますが・・・ )やはり良いワザヲギにはなれないでしょう。
実際、音声イメージは声の筋肉群に大きな影響を与える事が音響音声学の研究から明らかになっております。
今回は声と芸能に関する質問のいくつかをフースラー発声学、17世紀型のボイストレーニング、俚謡研究、芸能学、人類学などの様々な切り口からお答えしたいと思います。
武田梵声のレッスンはオルフェ音楽教室まで
オルフェ音楽教室
http://e-koe.jp/
武田梵声の著書
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/s?ie=UTF8&field-author=%E6%AD%A6%E7%94%B0%20%E6%A2%B5%E5%A3%B0&i=stripbooks
ハミングの効果は何に現れるのか。
ハミングは大きく分けてMハミングとNハミングとがありますが、フースラーは声帯縁辺筋が鍛えられアンザッツ3bすなわち諸タイプやレジスターを橋渡しする機能と構造が甦ると考えましたが、この理論は残念ながら現代のフースラー学派の研究により自然科学的にほぼ否定されています。(声帯縁辺筋が3bを生み出すとする理論)
現在はハミングによりプレフォナトリーチューニングと呼ばれる子音が喉の内外の筋肉の形に影響を与える現象がおこり、声帯靭帯と内甲状披裂筋のバランスが整う事でアンザッツ3bが発生しやすくなると考えられています。
重曹&蜂蜜うがいの効果とオリーブオイルを舐めると喉に効くか。
これらは、基本的には喉頭の中身そのものではなく、咽頭の痛みなどに効果があると考えられますので、感覚的には、その辺りがすっきりする事で、声もある程度は出しやすくなると考えていいでしょう。また声そのものの出に関連するのは粘膜の栄養という事を考えるといいでしょう、特にビタミンAを多く含むものは声帯の粘膜の健康維持に役立ちます。しかしながら声帯も粘膜が潤い過ぎるのも問題になる場合もあるので、結局は真釣り(バランス)という事になるでしょう。潤い過ぎる場合は、漢方ではニチン湯を使います。
目覚めてから何時間後位に歌えばよいか。
神経が目覚めてきたらです。原始本然が目覚めていればその目覚めも早くなりますし、逆は遅くなります。また同じ条件であるならば声帯や声道が長い、大きい者は立ち上がりが悪くなりますし、短い、小さい者は立ち上がりが早い傾向があるという実験報告が出ています。
平均的な近代人の喉はやはり起きてから3時間~4時間後位に完全な立ち上がりをみせるというのが一般的な統計でしょうが、練習自体は裏声で喉の筋肉をストレッチして頂ければ30分~一時間もすれば声を出してもよいでしょう。
準備運動&ストレッチは必要か。
血行が良くなる事で声帯や懸垂筋の運動機能が高まりますが、原始本然が目覚めてくれば、裏声を軽く出すだけでも懸垂筋や声帯靭帯が引きのびますので、声ということに特化するならばだんだんと必要なくなってくると言っていいでしょう。しかし芸能をトータルにみた場合は、身体表出やフィジオノミー的な表出も重要になるわけで
(まあステージや大道での芸能表出をこなすだけの身体能力や見栄え、立ち振舞い、所作の事)
そういう意味での身体訓練は職業歌手や職業芸能人、もしくはアマチュアでも本質的な芸能表出を心掛けるものは、やっておくべきだと思います。しかしながら西洋のストレッチや準備体操の多くは、元々ハタヨーガのアサナの精神訓練を省いたものになるため、芸能の身体訓練には不向き、もしくはかなりの不足があると申してよいでしょう。
西洋のボディービルやグラハムメソッド、ビオメハニカシステム、リトミック、ヒューマンポテンシャルムーブメントなども元々は巷間芸能やフロイトの精神分析、トランスパーソナル心理学等と結び付いたものですが、多くは形骸化しています。野口体操あたりがまあ無難なところだと思います。
筋力トレーニング&ランニングは声質を変えたり、ライブでの息切れを無くせるか。
結論から言って表面的に多少の効果はあるでしょうが、
~例えば体壁型の筋肉は多少ですが、閉鎖筋のサポートをする事が報告されています~
喉の神経支配さへ完璧になるならば、それらのサポートはほとんど不要になります。
(抜本的な解決には繋がらないですし、本音を申せば声のために体壁型系筋肉の訓練をやるのであれば変な癖~主に呼気圧迫~を助長させるだけだといえます。)
ランニングも役にたつのはランナーズハイやフローティング、ゾーンといった位で、いわゆる歌唱中の息切れにはほとんど役に立ちません、歌唱中の息切れを抜本的になおすのは喉の神経支配による神経同期を再生させる事により可能となります。フースラーメソードにも書きましたが、平均的な近代人は中庸の高さ、強さの声で約毎秒280CCの息の放出がありますが、解放された野生の喉では毎秒36CCになる事が解っています。(私は大学病院の耳鼻咽喉科医達にも発声学の指導をする事がありますが、彼らはこの理論にかんしては、100CC
はいるのでは?と考える場合が多いようです。しかしながらこれは、いわゆるベルヌーイ効果を基準とした考えでして、こちらの理論はいわゆる神経同期説をベースにして考えているわけです。ただひとつはっきりとしている事は世にはベルヌーイ効果では説明がつかない解放された喉が存在し、それを説明するのに今のところ最も適した考えが神経同期説だと言えます。この理論の証明も紆余曲折がございますが、いわゆる二重の弁の理論、抵抗の点の理論とあわせて考える事で確実なものになる事はほとんど明白でしょう)ここまでとは言わないまでもこういう方向性で喉の神経同期力を高める事こそ、この問題を根本的に解放させる唯一の作術となります。これは懸垂機構の訓練により解放されてゆきます。
巷のボイストレーナーは、筋肉トレーニングやランニングを薦めるものも多いようですが、余程その起源に戻らねば芸能表出や身体表出の役にも立ちませんし、声のためという事ならばほとんど無駄といっていいでしょうし、例え効果があってもそれは短期的な効果で長期的にみた場合悪い癖をつける可能性の方が強いといっていいでしょう。
喉にいい食べ物、飲み物。悪い食べ物、飲み物。
良いものはビタミンAやビタミンCなど粘膜に関わる栄養素があるものと考えられます。悪いものは、やり方を間違えると煙草や酒、後は違法及び合法問わずいわゆるサイケデリックスの類いがあげられます。前にも言った通り、このあたりは芸能の要としても働いてきたものですので、あくまで分量や時期を計算するならば、むしろ有効に働きます。
伝説的に喉によい食べ物としてタマリンドの葉があります。
かつて世界最高、歴代最高の歌い手と北インドドゥルパド様式で言われたミャーン・タンセンはこの葉によりあのような超絶的な声態を手にいれたと言われています。
いわゆる乳製品や辛いもの、カフェイン、冷たいものが喉に悪いと言われていますが、ほとんどが気のせいで、それほど悪いわけではありません、だいたい喉頭蓋で声帯にこれらは届きませんし、栄養は巡りめぐって声帯にゆきたりますので、まあ声帯を極端に冷してしまう冷たいものは、未熟な喉の場合には影響はあるかもしれませんが、解放された喉はほとんど影響を受けないでしょう。むしろ花粉やハウスダストなどのアレルギーなどの方が問題だと思います。アレルギー性の咽頭炎をおこすからです。
メロディがフラット気味になったり、リズム感を鍛える方法。
節、チューンをフラットさせたいのか、させたくないのかにより解答がかわりますが、特に初期のゴスペルやブルースなどの北米のルーツミュージックでは、12平均律より微妙にフラットさせるわけで、演者によってフラットのさせかたも様々です。こうした感覚は後のロックの諸ジャンルやリズムアンドブルースの基礎感覚であるのは言うまでもありません、いわゆるブルーな感覚です。これは声そのものと言うよりは古い俚謡型ブルースやゴスペルの古い形式であるエバンゲリストやサーモンスタイルを聴き、メンタルピクチャー(脳内再生)
を繰り返すのがよろしいでしょう。更にこれらの源と規範には古いグリオの歌謡~ポールオリバーの説を借りるならばグリオの塩讃歌~やブドゥンの芸能がある事もメンタルピクチャーしておくといいでしょう。また音程調整の要になる筋肉は前筋ですのでアンザッツ4などを中心に鍛える事で、メンタルピクチャーで自己表出されたものが指示表出されやすくなるわけです。いわゆるフラットさせたくない場合も基本は前筋を鍛える事とメンタルピクチャーする事です。フラットしていないイメージとそのイメージを指示表出させるための筋肉運動を身につけてゆくことが重要なわけです。
また前筋の機能を地声に添加させてゆかねば、ならないのでいわゆるレジストレーションをしてゆかねばなりません。
リズムというのも何を持ってよしとするかは難しいものですが、現在の大衆歌謡、ポピュラーソングの構造は二つのリズム感覚がシンクレしたものと言えます。一つは日本的なリズムの基本は、フォックストロットとシンクレしたぴょんこ節を基本にするといいでしょう、中山晋平の歌謡を平井英子が歌ったものを基本としながらアホダラ経、念仏踊り、山伏神楽を聴いてメンタルピクチャーするのがよろしいでしょう。
もう1つはアフリカのリズム感覚です。もちろんフォックストロットはブギウギ、バレルハウス、ロックンロールと変化してゆく感覚の基本的構造を持ちますが、ブラックアフリカ全土に通低する感覚を捉えておく事が重要です。これはいわゆるベルパターンと呼ばれるものでしてスークースやルンバ、サンバの中に色濃く顕れています。またフェラクティのアフロビートはパンアフリカリズムにのっとり、フランコなどのスークースの影響を受けながらブラックアフリカ全土のリズム感覚を集成したものですので、参考になるでしょう。まちJBの律動感覚はアフリカへの影響と北米への影響双方さらには、80年代以降のボリウッドの律動感覚にとっても重要な存在です
どんな声質か音源を送るのは可能か。
これは基本的には受け付けておりません、申し訳ありませんがご了承下さい。
弟子になる方法。
弟子も基本的には現在受け付けていません、いわゆる生徒は受け付けていますが、弟子となると話しはまた変わってくるわけです。弟子と生徒の違いは、基本的にはお金がかかるかかからないかの違いと、後は私からの要求の厳しさの違いでしょうか、
どうしても通信がしたいです。
重ね重ね申し訳ありません、通信も基本的には行っていません、ご了承下さい。
精神世界、神秘主義について、食べ物、飲みものについて
食べ物や飲み物は勿論、重要ですので、これからも追求した方がよろしいでしょう。芸能をトータルにみた時に食べ物や飲み物は民俗料理として民俗芸能と密接な関連にありました。食べ物や飲み物を求める事は決して間違った事ではありません、ノニもセヂやマナ、イツ、オレンダといった芸能の要になる力が宿った果実と考えられてきた万能薬です。沖縄は折口信夫が芸能学を創始する際に最も重要視した地です。そこに歌や芸能のオリジンがあると考えたからです。
精神世界というのはブラバッキーあたりがルネッサンスさせたエソテリズムやオカルティズム、ペイガニズムやそこを通過させた東洋神秘主義やアフリカ、オセアニア、南北アメリカの先住民の芸能などを含む言葉で、後はいわゆる疑似科学やサイエンスフィクション、量子論などとの結びつきもあります。ベーコンやエックハルト、グノーシスあたりもこれらの源と考えてよいでしょう。特にグノーシスはこれらの源というか寄生虫のように様々な神秘主義思想に付着してきた思想で、我々が考える最高の芸能会議であったエラノスの基調となるものです。いわゆるポップ化された精神世界より遥かに専門的になりますが、
こうした神秘主義や芸能の本義を考える上で最重要文献はエラノス叢書となります。そもそも神秘主義の源というのは先住民の芸能、古代芸能でした。これらが後にアジアやヨーロッパの宗教の密教になっていったわけです。それ故に我々にとってこうした事は芸能と関係ない別のジャンルなのではなく、芸能のむしろ核に存在する芸能オリジンとして捉え直すべきと言えるでしょう。
またエラノス叢書を読み込む上で我々は折口信夫や平田篤胤、南方熊楠、井筒俊彦を捉え直しておかないとエラノスを勘違いする事になると思いますので併せて知る必要があります。
いわゆる日本における精神世界の源にいると考えられるのは大石凝でしょう。出口王仁三郎もそうですが、大石凝を捉える事でその輪郭が見えてきます。
この大石凝の地平にブラヴァッキー的な思考が重なっていきました。
またこうした神秘主義に通低する心性を捉える学問にトランスパーソナル心理学や超心理学があります。マズローやスタニスラフグロフ、ウイルバー、それからチャールズタートなどが代表格でしょう。これらの心理学の下地を作ったのがユングやウィリアムジェイムズなどです。
エラノス最大の巨人にエリアーデがおりますが彼のまとめたオカルト事典も精神世界を概観するのに必須と言えます。
エラノスの中でエネルゲーテク理論のツカーカンドルも重要です。芸能や音楽の源であるムーシケー、あらゆるチューンの源となる原旋律を恐ろしく古い形として捉えようとしました。ツカーカンドル辺りを知ればいわゆる芸能や音楽の核にいわゆる精神世界があり、これらは芸能という語彙により再統合出来るのだと気づかれる事と思います。